終章

僕を映す鏡

現在の「音楽」という言説

意志と行動力の行方

60年代の楽天家は、「音楽で世界を変えられる」と考えていた。後の時代にそれは、安っぽい商業主義のキャッチコピーぐらいの価値しか、持たないようになった。

僕は、音楽で世界が変わると夢想したことはなかった。世界を変えるのは、社会や政治の力であって、音楽もその一部に過ぎない。無論、人間が社会や政治の基礎を成しているのだから、音楽が人間に働きかけることで、世界に影響を与えることはできる。しかし、あくまでもそれは、人間個々の内面世界の話であって、外界に影響を作用させるのは、人間の意志や行動力だ。

僕は、音楽によって生きていたのではない。僕の意志や行動力の伴奏として、音楽があったのだ。その意志や行動力が潰えたとき、伴奏も自然に音量を下げていった。ここで無理やりボリュームを上げたところで、僕の体がそれに踊らされることはないだろう。

歌詞と歌声、楽器のメロディやリズムで構成される、音楽。音楽を作る側、伝える側は、音楽自体への取り組みが人生であり、こうした構成物を生み出し、演ずることに、意志や行動力を見いだせる。しかし、音楽を聴く側にとっては、その行為自体が、人生の目的ではないだろう。音楽を聴く/聴かないは、聴く側の人間が持つ、多種多様な選択肢のひとつに過ぎないのだから。

では、僕らは、陳列ケースに並べられた多数の商品を選り好みするように、音楽に対してもわがままなで移り気な消費者として、振舞えばよいのだろうか? 「選択の自由」は、資本主義社会を象徴するキャッチフレーズだ。そうしたい人は、「選択の自由」を満喫すればいい。そして僕には、「選択の自由」を拒絶する選択権があるだろう。いや、「拒絶」なんて力むことはない。それに振り回されないように、そっぽを向いていればいいのだ。

80年代を通して聴き続けてきた音楽の多くと、僕の人生の多くのものも、21世紀の今では、砕け散ってしまった。かといって、跡形も無く粉々になったのかというと、そういうわけでもない。もうこれ以上、砕くことができないところまで破砕された。それは、もうこれ以上、砕くことができないものだけが残った、ということだ。何もかも、砕け散っていたら、僕はここにはいないだろう。

絶対に砕かれないもの、もちろん、そんな大層な、人に自慢できるようなものではない。こんなちっぽけなものしか残らなかった、残せなかったという羞恥心が、僕にはある。しかし、この絶対に砕かれないものの存在は、ちょっとした奇跡のようなものかもしれない。

最後の砦、などと力んで、絶対死守する必要も無い。もうそれは、崩れないのだから。そこに踏みとどまろうとか、肩肘張って構えなくてもいい。のんびりしたものだ。そこから踏み出すことさえも、決意を新たになんていう見栄を張らなくてもいいだろう。出るときは、思わず足が出てしまうものだ。

音楽も、同じように、これ以上捨てることができないものだけが残った。そんな中からCDを選び、貧相なラジカセのボリュームを下げて、聴いている。そこから流れる懐かしい曲や、部屋の棚にある限られた数のCD(といっても百枚以上あるはずだが)を眺めていると、音楽に対する僕の姿勢の移り変わりは、鏡のように僕の人生も映し出していることに気づかされる。

「音楽」の意味

猫の鳴き声は、音楽だろうか? 蝉の合唱は、音楽だろうか? そう聴こえる人もいるだろう。楽器の演奏や人間の歌声があってもなくても、人の主観で音楽は流れたり、ただの雑音で終わったりする。では、音や鼓動があれば、音楽になりえるだろうか? まず、それらは物理的な現象であって、空気や物体の振動でしかない。それらを受け止める心が何かを感じれば、それを音楽と呼ぶときもある。受け入れる意志があれば、それが音楽になることもある。不勉強な僕には意味が分からないが、手話を交わす手の動きにも、リズムとメロディを見かけることがある。

物理的現象に限定してしまえば、音楽は窮屈な定義の中に縛り付けなければならない。それは、中学時代、僕には受け入れられなかったテスト用紙の上にある音楽の世界だ。一方、抽象的な心の現象の中に音楽を見つけると、そこには意志や人生が投影されている。そんな音楽は、音でも文字でも、耳でも目でも手でも、「聴ける」のかもしれない。

僕は健聴者だから、耳で音を捉えることがほとんどだ。しかし心が拒否していたら、高校時代に音楽を聴き始めることもなかっただろう。あの新聞部室で、僕の生き方に対する意志が、友人と彼らの周りに流れる音楽を等価なものとして受け入れた。

心の中に、僕なりの方法で音楽が迎え入れられたとき、そこでは、音という物理現象は超越されて、「音のないアルバム」が編まれているのだ。「音のないアルバム」は、僕の音楽遍歴を記録するだけでなく、現在の人生の到達点も、僕に教えてくれる。

瓦礫の崩れる「音」

もともと「音のないアルバム」とは、音楽を言葉で表現し、空気の振動ではなく、僕の好きな文字の力で僕の音楽遍歴を記録しようとして、思い立った言葉でありアイデアだった。もちろん、それは音楽評論という文学的ジャンルが元々あるように、大した思い付きではなかった。

そして音楽遍歴を振り返ると、必然的に僕の人生における失敗が、見えてきてしまう。失敗談の繰り返しは、あまり明るいものではないし、自慢するようなものでもない。とはいえ、僕自身の音楽に対する姿勢が、生き方と表裏一体を成しているので、どうしても避けられない。

ただ、それが建設的な内容でなかったとしても、もしくは建築物の崩れた跡だったとしても、そこにまだ何かが残っていることを、今に至る道を振り返りながら、僕は見つけることができた。

21世紀が始まるほんの少し前に、とある職業訓練校の講師の仕事を引き受けたのは、その前年ぐらいにケーブルTVで往年の青春ドラマ「飛び出せ!青春」の再放送を観て、漠然と「教師になりたい」と思っていたことが前提にあった。教師になるための勉強をやり直すのは、さすがに難しいが、講師であれば、これまでの職務経歴を活かして就くことが可能だ。どこかで、人の役に立ちたいという気持ちが、教師や講師という形になって、心のどこかで渦巻いていた。それも、きっと、僕にまだ何かが残っていたからだろう。この文章を書いていて、僕は、そんな気がしている。音を言葉で表現するという当初の目的が、どの程度達成されたかは分からないが、この「音のないアルバム」には、少しだけ希望のある発見を、刻み込むことができたと思う。

終わりに

かつて、ある人がクラッシュは、我々を映す鏡だ、と評したことがある。ジョー・ストラマーは、詩を書き、歌を歌うことで、音楽に世界を映した。そして僕は、彼らの歌を聴くことを通して、そこに映し出された自分の姿を見る。