ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2002年8月11日(日)

今日は早起きして――と 言いたいところだが、いつものように小太郎に噛み付かれて早起きしてしまった。ここ数日はすばらしい夏空が広がっているので、小太郎を連れて近所の公園に散歩に行くことにした。

小太郎を猫用キャリングバックに押し込んで、自転車で1分程度。ラジオ体操が終わった頃の公園からは、猫の嫌いな子供たちもいなくなり、お年寄りやジョギングする人、犬の散歩に来ている人がまばらにいる程度。ベンチでバックから小太郎を出し、猫用胴輪を付けて草原の上に放してみた。家では慣れきって暴れまわる小太郎だが、突然天井も壁もない空間に怖気づいたのか、僕の足元に隠れようとする。すこし落ち着いてからも、家の中のように走り回ることはない。まあ、いずれは公園でも僕が引っ張りまわされることになるだろう。

ハナちゃんは、もともと野良猫だったので、好きなときに外へ出て、疲れたら家に帰ってきて寝ていた。おとなになった2年目からは、外より家にいる時間の方が長くなったけれど、近所の縄張りの偵察は欠かさなかった。ハナちゃんは自由に外で遊んでいるので、胴輪を付けて公園に行こうとは思わなかった。その代わり、飼い猫の印として、外へ出かけるときは首輪を付けておいた。

イソップの寓話ではないので首輪の鈴は外したが、ほんとうは首輪をした猫なんて好きではない。犬じゃあるまいし、胴輪と紐付きの猫も、見られたものではない。しかし、猫が自由に外を出歩ける環境は、比較的のどかな浦和でも、充実しているとは言いがたい。ハナちゃんが交通事故で死んでしまったことが、その象徴だ。

そんな世界で、少なくとも餌の心配だけはいらない飼い猫だが、多くの自由が束縛される。自由の代償をいろいろ用意してあげて、人間は良心の呵責を和らげようとしている。小太郎がどう思っているのか、ハナちゃんがどう思っていたのか、ほんとうのところは知るすべもない。とりあえず、小太郎の散歩は日課にしよう。

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