ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2003年6月21日(土)

一周忌も過ぎ、季節も真夏の一歩手前までやってきた。梅雨の晴れ間なのか、今日はよい天気だったので、自転車で見沼代用水西縁沿いを走ってみた。ハナちゃんと一緒に暮らしていた頃よりも、京浜東北線の線路を越えてそうとう東よりの場所に引っ越したので、見沼が近くなった。

とはいえ、ここ数週間は雨の日が多かったので、自転車に乗る機会がなく、見沼を訪れたのは久しぶり。前回は用水路沿いに雑草が伸び伸びと生い茂っていたけれど、今日はきれいに草刈りされて丸坊主になっていた。これも、6月恒例の行事。盛夏の頃には、再び雑草たちが勢いを盛り返す。

見沼の景色は、少しずつ変わり、一部は元に戻せないほど壊されてしまった。そうした変化とは別に、季節、そう、太陽の動きとともに変わらず繰り返される「変化」もある。そうした変化の中で、人間も猫も歳をとる。この蒸し暑さの中でも、小太郎は人生の初夏、青年期を迎えている。あと何回、小太郎と一緒に夏を迎えることができるだろうか? それを考えると寂しくなってしまうけれど、小太郎の愛くるしい姿が日々の楽しさを実感させてくれる。いつかは悲しい日がやってくるのだろうけれど、だからといって僕が先に小太郎に別れを告げることはできない。人間は、誠実なように見えて不誠実だが、猫は、不誠実さの中にも誠実さを秘めている。

1年前の今頃は、街にはワールドカップの熱気が立ち込めていた。僕にとって、そんなものはどうでもよかった。仕事に対する責任とか、臆病といった感情を口実にして、ハナちゃんとの別れを僕自身の人生との別れに結びつけることができなかった。そして、ひとりのときはただ悲しみに暮れていた。

1年が経過して、今は小太郎がいる。見沼田んぼも、そこにある。まあ、生きていてやっぱりよかった、ということだろう。太宰治の小説のようで、可笑しいな。そして2年前、3年前の夏を想い出せば、ハナちゃんに会うこともできる。

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