ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2003年7月21日(月)

梅雨がまだ明けない。20年ぐらい前、友達と尾瀬を旅行した。そのときも、7月の20日過ぎまで梅雨が明けなかったと思う。旅の最後の日、尾瀬ヶ原から鳩待峠までを雨に打たれながら歩き、バスに乗って沼田駅前に降り立ったとき、太陽が雲間から顔をのぞかせた。それが、梅雨明けだった。今、夕暮れの空に明るさが戻ってきた。これが、梅雨の最後になってくれないだろうか。

ハナちゃんと暮らしていた頃は、梅雨の間はエアコンで除湿をかけていた。しかし、ハナちゃんが外に出かけている間は、ドアを開けておかなければならない。そして、雨が降っていても出かけるハナちゃんは、足を泥だらけにして帰ってくる。足を拭こうとすると抵抗するし、足跡の掃除も大変だった。ハナちゃんは、乾いた部屋の中と、ぬかるんだ道や空き地と、どちらが好きだったのだろう。小太郎は、アスファルトが雨に濡れた匂いとか、土のやわらかい感触をほとんど知らずに育った。雨に打たれて、濡れ「鼠」になるような経験をしたこともない。ハナちゃんと違って、恵まれた生活を送っているわけだが、何かを取り上げてしまったような後ろめたさも感じてしまう。

一昨日、部屋の窓から見える駐車場で子猫のような鳴き声がした。覗いてみると、白黒の猫が歩いていた。そう、ハナちゃんと同じような模様だ。昨日の朝、近所のゴミ捨て場が荒らされていた。あの猫だろうか。それともカラスだろうか。いずれにしても、収集日を守らずにゴミを捨てる非常識な人間が悪いのだが、餌を求めて流れ歩く白黒の子猫の姿が、僕の頭に浮かんだ。梅雨の雨の中も、ひもじい思いをしながら徘徊する子猫がいるのかもしれない。

「輪廻転生」などといった、仏教系のくだらないデマゴギーを信じる気にはなれないが、確率の問題として白黒の子猫が僕の前に姿を現すことは、有り得ないことではないだろう。それをどう受け止めるかは、僕の心の問題だ。

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