ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2003年8月3日(日)

今日、昨日、一昨日と、町内で夏祭が行われていた。今日は最終日で、家の近くの大通りを神輿が通り、町内の鎮守とおぼしき神社に奉納されていた。神輿担ぎの掛け声や お囃子が町中に木霊すると、母がそわそわと見物に出かけていった。どうやら、お祭が好きらしい。母はアルツハイマー病によるやや中度の痴呆を患い、ふだんはあまり外へ出たがらない。ところが、祭囃子が風に乗って流れてくると、地に足が付かなくなるようだ。

日常生活にやや支障をきたしている母の物忘れに、どうしてもイライラしがちになってしまっている僕は、こんなことがあるとほっとする。近所の祭だし、好きなだけ見物してくればいいんじゃない――と。ところが神輿が通り過ぎ、1時間近くたっても母が帰ってこないので僕は焦った。つい最近、痴呆症のお年寄りが 自宅の近所で行方不明になるというルポを、テレビで観たばかりだった。既に陽も落ちている。急いで神社の受付を訪ね、神輿の行き先を聞いて自転車で急行した。すると、見知らぬ親子連れと仲良く談笑している母を見つけた。

まあ、今のところはこんな笑い話で済むほどの、病気の程度ということだろう。深刻になり過ぎず、かといって油断せず、といったところだろうか。ちなみに僕は、神輿が繰り出すような祭は、あまり好きではない。神輿担ぎの“勇壮さ”とか“男らしさ”といったものが、肌に合わないからだ。それと比べるなら、先日見物した氷川女体神社の「名越の祓」のような、静的な祭事のほうが溶け込める。

では、猫たちはどうだろう。小太郎は、祭囃子が大きくなると、家中を駆け回って隠れ場所を探していた。初めての騒々しさに、ビックリしたのだろう。しかし、二度目に神輿が近づいたときには、網戸越しにゆったりと見物していた。小太郎は、人間社会への順応性が高いようだ。これがハナちゃんだったら、押入れの奥にでも隠れて、ずっと息を潜めていたことだろう。そんなハナちゃんの姿が、懐かしい。

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