ハナちゃんの足跡

~最愛の友だちを記念して~


さようなら、ハナちゃん ハナちゃんの在りし日の姿 小太郎と小次郎 過去の日誌
ハナちゃん 小太郎 小次郎

2005年7月21日(木)

先日、登録してあった同窓会サイトを経由して、中学時代の同窓生からメールが来た。年内に同窓会を予定しているので、そのための住所変更の確認だった。そういえば数年前に、同窓会名簿の記載確認と購入を催促する郵便が来たことがあった。それは、学校の同窓会組織が行っている事業だが、今回は、同期だけの企画らしい。少しだけ、中学時代が懐かしくなり、卒業アルバムを引っ張り出してみた。まあ、主催者の“身元確認”という動機も、もちろんあったのだが。

卒業アルバムには、入学式、林間学校、修学旅行、そして卒業式といった行事や、部活の集合写真が、思いのほかたくさん掲載されていた。スナップ写真では、僕が写っていたのは一枚きりだが、集合写真には、当然だが、必ず僕も参加している。入学式では、自分でも可笑しくなるほど、僕はまだ小学生のような顔をしていた。一年生の頃を通して、それは変わらない。しかし、二年、三年となると、少しだけ大人というか、思慮深さみたいなものも、表情に加わってきていた。そういえば、必修クラブでは「机上旅行クラブ」というものに参加していたのだが、僕は部長を務めていたことを思い出した。それらしく、クラブの集合写真に僕は納まっていた。

僕にとって、中学時代は、あまり楽しいものではなかった。小学校までは学校一番の秀才だったが、受験して入学した母校では、それなりに頭のよい連中が集まってきていたので、僕は、勉強面では落ちこぼれてしまった。確か一年生の頃、担任の先生に「お前は元気がないぞ」と注意されたこともある。僕はふつうにしていたつもりだったのだが、客観的には、おとなしく目立たない少年だったのかもしれない。

そんな中学時代、次第に僕は内省的になり、自分に合った勉強、自分の求める知識というものを見つけようとしていた。それが、社会であり、歴史であり、思想であり、いわゆる社会科学という分野だった。また、中三の夏休みの宿題で描いた水彩の風景画が、美術の先生に「この夏いちばんの絵」と誉められたので、忘れていた美術への興味も取り戻した。そうした“成果”を、僕は高校時代にすべて開花させた。だから、中学時代は、まだ殻の中に閉じこもっていたような記憶しかない。結果として、それほど面白くはない時代だった。そんなわけで、実際のところ、現在につながる友人に、中学時代の人はひとりもいない。

今振り返って、僕にとっての中学時代が何だったのか、客観的に分析することができる。それと同様に、中学時代の同窓生たちが今どうしているのかについては、あの学校が“学歴主義社会”においてどの程度の役割を果たしたのかという分析的な視点でしか、興味がない。高校を中退した僕にとって、経歴上の出身校=母校は、この中学校ということになるのだが、記憶はいくつも残っていても、高校時代のような“想い出”は、ほとんど存在しないような気がする。まあ、僕自身の成長に、中学校時代も大きく関わっていることは間違いないのだが。

期せずして、CATVで「炎の犬」という昔のドラマの再放送をしていた。ちょうど、僕が高校を休学、そして退学した時期に重なって制作・放映されたものだ。その主題歌が流れると、中学時代の記憶を凌駕して、高校時代の想い出がよみがえる。すでに、四半世紀もの時が経過している。今から二十五年も過ぎると、今度はハナちゃんのことを、僕は懐かしく想い出すのだろうか。

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